幽熱遊離
ペントハウスの大きな窓ガラスの向こうで、ナイトシティのネオンが滲んで見えた。視界がぼやけるのは窓に残った雨粒のせいか、それとも自分の身体のせいか。Vはソファに横たわり、ブランケットを肩まで引き上げた。寒気と熱が交互に押し寄せる感覚に、眉を寄せる。サイバーウェアの誤作動ではない。そんな単純なものじゃない。
自分の命が限られていることは、とうに理解していた。ジョニーの意識が消えて以降、体調はゆっくりと、だが確実に悪化している。体調が悪いことを隠すのはVの悪い癖だが、それは何も心配させたくないという意図だけではない。
言葉にすれば、認めてしまえば、それは敗北と同義に近しいから。
──過ぎ去れば、見て見ぬふりをして耐えれば、いつか消える。消えてくれ。
そんな願いもむなしく、ペントハウスの自動ドアが開く音が高い天井に響いた。
「V?」
リバーだ。
Vは一瞬、息を止める。
──なんで今?
なんでも何も無い。「いつでも来てくれ」と、セキュリティを許可したのは他でもないV自身だ。だが今はタイミングを呪う。この状態では誤魔化しきれない。
リバーは足音を忍ばせるでもなく、まっすぐこちらへ向かってきた。Vは無意識に身を小さくする。だが、リバーの鋭い視線はそれを見逃さない。
「どうした?」
低い声がVの鼓膜を打つ。
「……別に」
俯いたままぶっきらぼうに言う。顔を上げたくなかった。少しでも目を合わせれば気付かれる。リバーはそういう男だ。
だが、それを許してくれるほど甘くもなかった。
「V、起きろ」
手首を掴まれ、あっさりとブランケットが剥がされる。逃げる間もなく、額に触れるリバーの手のひら。瞬間、Vは目を見開く。
「……っ」
自分が熱いのか寒いのかよく分からない。ただ、リバーの手の温かさだけがすっと降りてきて、たまらなくなる。
「……なんでそんな顔してる?」
リバーが僅かに眉を寄せる。Vは自分がどんな表情をしているのか、考えたくもなかった。
「お前、ちゃんと寝てるのか?」
「寝てる」
「嘘つくな」
言い切られ、Vは肩をすくめる。もう逃げ道はない。
「ベッドに行くぞ」
「……いい」
「よくない」
意味のない問答を繰り返した次の瞬間、Vの身体は軽々と持ち上げられた。
「ちょ、待て、リバー──」
「いいから黙ってろ」
腕の中に収まる感覚に、Vは抗うのを諦めた。普段ならいざ知らず、今の自分にここから抜け出す力はない。ベッドまで運ばれ、そのまま寝かされる。Vが身動ぎしている間にいつの間にか固く絞ったタオルを用意していたリバーは、躊躇いなくVのシャツを捲り上げて肌を拭き始めた。
「……あんた、俺のことをなんだと思ってんだ?」
良すぎる手際に力なく言うと、リバーは手を止めずに答えた。
「俺の恋人だろ」
あまりに真っ直ぐな言葉に、Vは目を少し見開き、悔しそうに伏せる。こういうところだ。敵わない。
リバーは黙々と手を動かし、Vの服を着替えさせた。
「こういうときは、ちゃんと人を頼れ」
静かに、しかし強く言い聞かせる声。
Vは視線を泳がせながら、なんとか言葉を探した。
「……心配させたくなかった」
嘘ではないが、嘘をつく。
リバーに答えやすい反応をさせるための嘘。
「それが一番心配させるんだ」
ベッド横に膝をついたリバーの手のひらが、Vの頬に触れた。Vは正面から見つめられて、逃げるように目を閉じる。温かさが優しすぎて、胸の奥が軋む。
「優しくしないでくれ……惨めになる」
リバーの手が一瞬強張る。
伏せられた顔は更に深く傾き、濃紺の髪がリバーの腕を撫でた。
優しさに甘えて、傷つけないための嘘はあっさりと剥がれてしまった。
リバーはそれ以上、何も言わない。ただVの身体をしっかりとベッドに沈め、毛布をかけて、キッチンへと向かった。
Vはベッドの中で、微かに響く食器の音を聞く。
鍋が火にかけられる音、スプーンがカップに触れる音。
──やめてくれ、そんなふうにされると、まだ生きたくなる。
目頭を押さえ、Vは深く布団の中へ沈んだ。